第19回 薊様

■幼い頃から刻まれた着物の思い出

 私の着物との付き合いは3歳の頃から。母に連れられ日本舞踊のお稽古に姉と通っていた。その頃、母は良く裏庭に張り板や伸子針(この字で良いのかしら)を使って洗い張りをしていました。私は乾いた布を張り板から剥がしたり、伸子針を外したりするのを手伝うのが好きで、母が張り板を持ち出して張るのを飽きもせず眺めて、その布が少し前に母が着ていたものだったり、私や姉が着ていた物だったりするのを不思議に思って尋ねた所、「昔から着物はある程度着て汚れたら、全て解いて手で洗って糊をつけて干し、又着物に仕立て直すと、いつも綺麗なままで着ていられる」と教えられました。その時は私も大きくなったら母に着物の洗い張りを教えてもらえるとおもっていました。高度成長期になり、下町でかなり広い敷地の家から、父の仕事の都合で、庭の無い部屋数だけは沢山ある家に引越しました。でも、まだ張り板や伸子張りを挟む物は有りましたので、いつかは母が教えてくれると思っていました。

 着物を着るのは子供の頃から大好きで、暮れが来るのが楽しみでした。なぜなら、お正月には新日本髪を美容院に行って結ってもらい、元旦には御振り袖を着せてもらえる。それが楽しみで、12月になると母と美容院の予約をいつ入れるか、来年はどの着物を着るかを相談していました。そんな着物との生活が社会人になるまで続きました。当然、着物の汚れやシミの処理は母がするものと思い、子供の頃にあこがれていた洗い張りを習う事も「いつかは私が」との思いも続いていましたが、ある日突然、父が病気で他界。その後一緒に暮らしていた、大叔母・叔母はそれぞれ自分の行く末と母への負担を考え、各自我が家から離れていきました。間もなく祖母も他界、そして、私も父が亡くなる4年前に結婚の為家を出ていましたので、広い家は要らなくなりました。部屋数のある家は不要となり、姉と妹と母の3人が暮らせる家を購入し大きな家は手放す事になりました。それでも、母は洗い張りの道具は手放さずにいました。母も年を取り姉も嫁ぎ、日当たりの良いセキュリティーの良い生活に便利な駅前のマンションに転居を決めました。引越しの為家財道具の始末をしている時、ついにあの張り板と洗い張りの道具それと無垢の裁ち板を処分することになりました。私は心の中で何時か私が引き継ぐと思っていた道具たちに別れを告げました。東京の下町でマンション住まいの私が洗い張りの道具を引き取っても使う事が出来ません。寂しい別れでした。

■きものおたすけくらぶ発見!

 私の着物好きは相変わらず続いており、フト気が付くと箪笥にはもちろん、衣装箱にも収まらなくなった帯や着物が座敷に何枚も重なって野積の状態になっていました。娘時代に来た派手な着物は欲しい方に10枚ほど差し上げあたのですが、それでも治まる状態では無くなっていました。ある日 「洋服や毛皮のコートを預かってくれるところが有るんだから、着物を預かってくれる所もあるはず!」と思い、ネットサーフィンをしていたところ『富さんワールド』なるページを発見。お手入れの工程が写真で紹介され、着物姿の富さんの絵が有りました。発見してから少しして「おたすけくらぶ」と言うホームページができ、その中に『おたすけバンク』が出来ていました。私の考えていた通りのシステムでしたが、一応メールで色々と問い合わせをしてみました。

 富さんからは「お試しを使って欲しい」と言われ、丁度手入れに出そうと思っていた着物が有ったので、お試しお手入れを依頼しました。富さんとしては出来上がりを確認して欲しかったと思うのですが、私としては少しでも家から着物が減る事が目的だったのと、工賃がいくらかかるか知りたかったので、おたすけバンクに預けた場合の合計をすぐに知らせてもらいました。

 以前は呉服屋で高い工賃を払っていたので、今回の金額には満足し、それでは、と言う事で部屋に積んである着物を全てお願いしようと思ったのですが、仕立てて、まだ袖を通していないものや、呉服屋で手入れをして帰ってきたものばかりでしたので、どうやって送ったら良いか分からず、富さんに相談しましたところ、我が家まで取りに来てくれるとの事。その日は風呂敷に入るだけの着物と大きな袋に帯を入れ、富さんの車で鳩ヶ谷の工場にいき工場長の所に直行。一枚一枚、私の希望を工場長が聞き、相談にものっていただきました。全て預けてから今度は工場内の見学。まずは2階。反物の検品チェックでは、高価な物からリーズナブルナ物まで色とりどり反物を一枚一枚広げて、傷や汚れの有無を確認していました。「沢山の着物を見ていると良い物か、それなりかが分かるでしょう?」と質問したところ「そうですね、毎日見ているし手で触っているので良い物は直ぐにわかります」との答え。「着物に対して目が肥えてるでしょう」というと笑っていらっしゃいました。スタッフの皆さんはみな和気藹々としていて、常に笑顔でお答えくださいました。(仕事中は真剣な表情ですが)この階には、その他にも色々な工程の方が専門で仕事をしていました。1階に降りると、湯通しの機械・すこやかガードの機械・乾燥の機械・頑固な汚れを落としたり、すそ洗い等手作業で行う場所になっていました。そして3階へ。この階は細かい縫い物をする工程となっていて、その横に事務所兼社長室が有り、富さんは、ここにいます。全館禁煙となっており一人喫煙者の富さんはかなり居心地が悪いようです。これを決めたのが富みさんなのですが「いつもタバコが吸いたくなる」と一人でぶつぶつと文句を言っています。と言う事で、我が家にあった着物は一件落着。出来上がり次第お届けをと言われたので、当分着る着物は自宅にあるので、今日持ち込んだ着物は全てバンクへ入れてくださいとお願いしましたところ、「出来上がりを見てもらいたいのに」と富さん。「工場の様子を拝見して安心したので確認は要りません、バンクへ直行して下さい。引き出しは多分来年の秋頃で、一部単衣ものは必要に応じて引き出します」と答えました。

 それからは、色々なオフに参加して少しずつ会員さんとのお顔が繋がったように思います。どの会員さんも富さんの健康を一番に心配していると思うには私だけかしら?ベトナム工場見学も今年の正月から誘われていて、先月やっと約束が果たせてベトナムのスタッフ・ワーカーさんとご挨拶が出来ました。工場がオープンする前から写真を見せられていて広いとは思っていましたが、700人のワーカーさんの笑顔と綺麗で細かい運針。ワーカーさんが困っている時に駆けつける日本人の仕立ての先生。ベトナム語が飛び交う中で時折聞こえる片言の日本語。膨大な枚数の着物たち。通訳のハーイさんを始め、日本語をベトナム語に訳すスタッフが5名もいる。ベトナム語を話せる日本人スタッフも数名いて、皆さん和気藹々と仕事をしていらっしゃいました。「微笑み仕立て」は充分信頼できます。彼らの真剣な腕ならどんな着物も安心して任せられると思います。

これからも富さんの本社もベトナムの工場もより発展していかれる事をお祈りしています。

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