第24回 紀与子様
憧れの着物姿。着物好きなら、ひとめで心を奪われてしまったような「憧れの着物姿」というのに、どこかで遭遇しているのではないだろうか。それは有名人であるより、たいてい無名の、市井の人のような気がする。ことさら美人であるわけでもない。大切なのは、その人からにじみ出てくる、たたずまいのようなものだ。
私の憧れの着姿は、祖母のものである。小柄で古風な顔立ちの祖母の普段は人目をひかないようなのが、ここぞと言うところで着物をまとうと、なんとも凛として、美しい。長身で華やかな雰囲気の母と並んでも引けをとらないどころか、格の違いを見せつけて、なんとも天晴れなのである。祖母は濃い地の紬やお召し、江戸小紋などが好みだった。半襟と足袋はいつも潔く真っ白だった。きりりとした着物に、たらりとやわらかい羽織を羽織って少し猫背のような姿が、なんとも優雅に見えて、子供の私は、そんな祖母がとても誇らしかった。思い返せば、七五三も、振袖も、結婚のときに持たせてもらった着物も、すべて祖母と選び、祖母の買ってくれたものである。もっとも当時は、自分がまさか今のように着物に心奪われる日常をおくることになるとは思いもしなかったのだけれども。。。
日常的に着物を着るきっかけとなったのは4年も続いた外国暮らしだった。日本を遠く離れているうちに、日本が恋しくてたまらなくなった。もはや理屈ではない。正月を家族と過ごしたい。 桜を見たい。マツタケが食べたい。お風呂に入りたい。
ニッポンに帰りたい!のである。
それに、アイデンティティの問題もあった。日本にいれば、出身地や職業、趣味、服装などで、その人の位置が外からも内からも、ある程度定まってくる。それが、外国にあっては「ニッポン」というだけではあまりにも遠く、またそのイメージが著しく事実とズレているため、自分というものが、実に心もとないものになってくる。そのときに、私がスコンとハマったもの。それが着物。これはもう直感のようなもので、理屈ではない。
すそよけ、肌襦袢、長襦袢。鏡の前で、一枚一枚、丁寧に着付けていく。裾線を決め、おはしょりをとんとんと整え、襟元を正して、伊達締めをしめる。紐で縛ると言う行為が伴う緊張感と、帯に支えられ守られている安堵。首の角度から、足の運び、手の動きまで、身体のありようががらりと変わる。この身体感覚が、外国暮らしの私を「これでいいのだ」と支えてくれた。おそらくこれが、「伝統」と言うものの力なのだと思っている。
今でも、着付けのときのこの緊張感が好きだ。髪を整え、化粧をし、着物をまとって、帯を締める。帯締めを締めて、顔を上げると、鏡の中に、小気味よく緊張した自分の顔がうつっている。うん。大丈夫。鏡の中の私が、私に微笑む。
きっかけはどうであれ、私は今、着物が大好き。着物を着ていると、見知らぬ人が、声を掛けてくれる。「すてきですね」と言われると、素直にうれしい。そして、この着物を帯を、こつこつと作ってくれた人たちにガッツポーズを送りたくなる。
いま一番私の着物を喜んでくれるのは夫と三人の子供たち。末っ子はまだ2歳だが、私が着物を着ると、ママ、チレイ、とよく回らない舌で一生懸命誉めてくれる。子供が小さいうちは着物は無理、と耳にするけれど、やってみるとそんなことはない。強いて言えば「ガード加工を欠かさない」くらいだろうか。
ワンシーズンとことん着て、お手入れに出す。スーツやワンピースをドライクリーニングに出すのと変わらないじゃないですか。もし、そこで「子供が小さいから」って我慢している貴女。ダマされたと思って、きもので生活をはじめてみてください。案外、一番喜ぶのは、子供たちだったりするかもしれません。
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