第8回 キナコ様
微かな樟脳の匂い、そして三味線の音が私の着物原風景です。
小学校入学前から習わされていた日本舞踊のお稽古での思い出は姉弟子達に着物のたたみ方(浴衣の袖だたみですけど...)を何度も教えてもらったことや、誰が風呂敷の包み方結び方が上手か競ったこと... 向こうのお稽古場からは唄と三味の音が...。近くに温泉場があり、そこの芸者衆の稽古も見ていたお師匠さんは都合で見番での稽古ができない時には、私達と一緒にみることがありました。私達は浴衣での稽古でしたが、お姐さん達は普段着とはいえ、色とりどりの着物で綺麗だったこと、樟脳ではない香水の匂い、そして母親達とは違う雰囲気にオンナを感じ憧れたものです。今思えば、お姐さん達の言葉に東北訛りがあったこと、稽古場の子供達をメチャクチャ可愛がってくれたこと等 「女の哀しみ」も理解できるのですが、その頃はただただ憧れました。
中学の頃、粋な縞の着物が着たいと言う私と、止める母親との間で困っていた呉服屋の番頭の顔が懐かしく浮かんできます。
当時は洋服姿が増えたとはいえ、母達がおめかしする時は着物であり家で洗い張りしている姿も普通に目にし、どの家でも馴染みの呉服屋悉皆屋の何軒かはあったものです。ところが、その後の急速な着物離れで、それらの店の多くが店をたたんだりマンションやコンビニに姿を変えたりしてしまったのも無理ないこと。でも、着物生活を続けたい者にとっては大変困った事態です。特に着物のメンテナンスを頼む所が無くなってしまったのには大弱り。
とりあえずは呉服屋さんでお誂えをするついでに他店の物を頼んだりしていたのですが、そうそう新調するわけではないので頼み難くなり、結局押入れに突っ込んだままに。伯母や母の着物を直して着たいと思っても“着物を捨て去った世代”の母達は「そんな古いものを...」と取り合わず着物に未練がないみたい。
憧れた芸者さんも今は姿を消し、コンパニヨンとかいうオネーチャンがドレスでお座敷をまわっているのですから時代は変わったのね!でも、着物が普通の生活の普段着だった時代を知っている最後の世代・生き証人である私達(誰が仲間だ?)が、着ることを放棄してしまったら着物はどうなる!
日本の伝統文化は?...なぁんて大袈裟なことは考えずに着てます、好きだから。着物生活を支えてくれる“おたすけくらぶ”頼りにしてますよ。
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