第44回 佐和子様
私のきものはじめ
今も変わらない笑顔の社長さんと初めてお会いしたのは恵比寿のきものイベント『きもの日和』でした。それまで、ずいぶんと呉服屋さんに授業料を払ってました。お手入れお願いしても、
「次はこれいかが?」
「今、お手入れのきものにはこの帯も合うわよ」
という次第。目からウロコでした。
子供のころは普通に、身近にきものがありましたね。二十歳の頃にも、お正月には髪を結って過ごしていました。その後、ずーっと働き通しでしたが、いよいよ子ども達が成人に。長女の成人式は本人が乗り気でなく、やっと私の振袖(アンティーク化?)を着せて終了。年子の二女はのりのり。
「こんな金太郎さんみたいなのイヤだ」
と言われましたが、他を手配できる力量も私にはなく、小物を変えて、だいぶ裄は短かったけれど、再度活躍となりました。長女に
「一緒に着る?」
と言ったら、今度は
「うん」
との答え。私が自分で見立てた昔の小紋を着せて、下の息子二人赤と黒のパーカーで、兄弟写真ができました。
これを見て喜んだのが、振袖を作ってくれた母でした。二人分のきものを持ち、着付けに、写真館に大忙し。その時、
「長男の成人式には絶対に私も」
と思いましたが、私に着られるきものは持っていませんでした。ちょうどその頃、今はなき呉服店で上手にのせられ、自分へのご褒美に作ってしまいました。
「こーんなに高価なきものを作ってしまっては自分で着るしかない!」
と着付け教室へ。仕事帰りでは、わからぬままで終わったり、持っていくきものをいちいち品定めされ、
「もう自分で着るぞ」
と決意。そんな私に実践をたたき込んで下さる友人もでき、
「出かけるときはきものよ」
の号令で、きもの熱がどんどん高まり、今に至っております。
結局、長男にも、次男にも振られ“私の四人の子どもときもの姿の私”という写真のビジョンは、あえなく夢と消えてしまいましたが、今は中学、高校の友人たちと『きものあそび紅』を初めて三年目。月一回お出かけの会として身近な浅草、銀座、美術館など楽しい日々を過ごしております。
それぞれが、手持ちのきもののお直しや、お仕立てでお世話になっている今日この頃です。
いつもありがとうございます。そしていつもお忙しい時間にお伺い、お邪魔しまして申しわけありません。今後とも、よろしくお願いいたします。
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