第42回 momondy様

着物で広がるワンダーランド

 第二次世界大戦終結から10年経って生まれた私の子供の頃は、まだテレビもエアコンも無い時代でしたが、思えば、何は無くとも心は今より豊かな時代だったと思えます。

 お正月も両親は着物を着てすごしていましたし、父は餅焼き係など、母は台所で割烹着を着て、元旦に大勢の親類が新年の挨拶に来るのを迎える支度をしていました。私も大晦日や元旦には、母の準備してくれた真新しい下着の上にウールやシルクウールの着物を着せてもらって神社にお参りに行っていました。また、子供の頃は、毎夏、浴衣や絽の着物を着て、城跡の盆踊りに行き、疲れきるまで踊ったりしたことも楽しい思い出の一つです。

 呉服屋さんの和裁の仕事をしていた母の影響もあり、私も子供の頃から着物が大好きでした。母も父兄会や特別なお出かけにはよく着物を着ていましたし、「ハレの日の着物」というイメージが好きだったのだと思います。

 50代が近づいてきたときに、日本人に生まれたからには、そろそろ着物ぐらい自分で着られるようになりたいと思い、着付け教室に通い始めました。ところが、持っていた着物のほとんどは20代から30代に母が準備してくれた着物で、着られなくなった着物は全部娘に譲り、第二の着物生活をスタートすることにしました。

 母の時代には考えられなかったことですが、この第二の着物生活を開始するのに一番役立ったのはインターネットです。着物に関する色々な情報収集から、着物や帯の知識、購入、ほとんどがインターネットでできることに驚愕しました。

 こうして、着物仲間もインターネットのコミュニティーのオフ会などから広がり、そうして辿り着いた貴重な出会いの一つがきものおたすけくらぶさんとの出会いです。

 以前、青木 玉さんの「幸田文の箪笥の引き出し」を読んだときに、幸田文さんの時代には、着物は呉服屋さんで「買う」ものではなく、デザインを含めて、「注文して作るもの」、すなわち、テーラーメイドだったことがわかり、とてもうらやましく思いました。

 第二の着物生活を始めて、着物や帯が増えてくるにつれて、だんだん、幸田文さんのように自分のテーラーメイドの着物や帯を作りたいという気持ちが強くなってきました。

 そんな時に、きものおたすけくらぶさんがベトナム刺繍の注文を受けるというニュースを聞き、これは願ってもないことでした。早速、実験台でもいいからということで、自分でデザインして、熱転写プリントした塩瀬の帯の刺繍をお願いしました。このデザインの素材は、我が家の猫の額の庭に植えてある薔薇、主人の作ったカクテル、それからフリー素材の月の写真です。この薔薇の部分が見事な刺繍となって戻ってきました。また、続いてお願いした安っぽい感じの苺の帯もこれまたおいしそうな苺になって戻ってきました。

 私の第二の着物生活は、『きものワンダーランド』での素敵な人々との出会いを含め、きものおたすけくらぶさんの着物に対する真摯で熱い思いのサポートを受けて、これからもますます広がって行きそうです。

 いつもありがとうございます。そして、これからの展開も期待しています。

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