第32回 siba様

服三昧の日々

 母親の実家は埼玉の養蚕農家でして、家には何枚も銘仙の着物があり、それで、ままごとしてたというのは恵まれていたのかもしれません。七五三の晴れ着も、デパートに行って、これが着たいと指定していたのは、今でも覚えています。コンポーズブルーに大きく朱の蝶が飛び、合わせたのは赤黒金の重たい織りの帯。簪や箱せこで長いこと遊んでいました。

 小学生のころは、人形劇「新・八犬伝」に夢中で、その先は市川雷蔵の時代劇にはまり、大きくなったら忍者になりたいと強く思っていたのです。近所のおばさんにウールのアンサンブルを縫ってもらい、正月でなくてもよく着ていたなあ..、洋服についてもわがまま放題、やれリボンの騎士だ、ツイッギーのミニスカートだと言う具合に命令して(というのがふさわしく)母親に縫わせていたのが、幼稚園から小学校時代のこと。幼稚園では西部劇ごっこでしたが、その癖は止まず、高校生になっては私服の学校にもかかわらずセーラー服で通学、大学の卒業式には紫の鬼縮緬の、とろけそうな古着をセメダインで裾を留めて着付けて出かけていったのが懐かしいです。外側にこんなにこだわっているんだというのに気が付いたのは、勤め人になってから。制服にどうもなじめず、退社したという感もあります(ああ すみません...)。

 その後は、「服については、わりと自信があるかも」ということで、文化服装学院に入学、洋服の勉強。でも入れた会社が着物の図案を描くスタジオでした。そこから着物関係の仕事がスタートです。多いときは日に2枚くらいのペースで実寸大や雛形の着物の図案を、ポスターカラーと筆を使って描きまくりました。5人くらいのメンバーでしこたま描いて、月2から3回、社長や専務が京都や十日町の問屋・メーカーに売り込みに行く。売れたら歩合が付くというきわめてシンプルなデザイン事務所でした。4年くらい勤めて退社、東京のゆかたの仕事をいくつかもらえるようになって..まあなんと申しますか、言いたいこと、描きたいことを描きながら、皆様のご厚意で生かされているというような感じの仕事をしております。

 パソコンを買ったのはもう14年くらい前でしょうか、やっと製版技術と合体したところでして、文字通り右腕として活躍、これ無しでは企画書や配色案はなかなかおぼつかなかったと思います。そして大きいのはネット上のコミュニティです。着物マニアが集うサイトで知り合ったのはいつだったか、業界でも先輩である富田社長の笑顔になんとなくついてきた感じでしょうか。

 着物好きとしては「コスプレ」系でして、汚れていても、とんでもない柄の古着をどう生き返らせて着こなすかということが楽しみで、そうなると洗濯はコインランドリー等、乱暴なやり方で、しのいできたとおもいます。自前の新品の着物を何枚か持つようになったのは本当にここ最近、大人な「着る文化」も多少味わうようになってきました。着方も乱暴なので、おたすけくらぶあってのお遊びですね。

 なにかとふんわりした言い方しかできない着物業界の中で、「○日、縫い上がる」とか「幾らまでかけて良いからその範囲でよごれ落として」といったデジタルな物言いに耐えてくれているのは、貴重な会社ではないでしょうか。

今年もまた、自前の浴衣柄を描きます。好きなものでは商売にならないと言うのが常ですが、年に数柄はわがままさせてもらってます。5月くらいには5柄ほど製品に仕上げるつもり。仕立てには、また、きものおたすけくらぶさんにお世話になるかもしれません。

 そのころでもホームページ覗いてみてください。描くぞ?、これから (笑)


rumix design studio
http://www.rumixdesign.com/


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