お手入れのいろは
第12回 手を洗おう!海外縫製奮闘記

 ベトナムでの縫製にチャレンジしたのは、平成3年ころですから、思えばもう、約四半世紀ほど前、縫製人口が激減し、国内縫製の将来にかげりが見え始めた頃でした。

 手始めに、仲間6社と商社とで協力をして、ベトナムで縫製を教え始めました。和裁の指導員を3ヶ月から6ヶ月間、ベトナムに赴任させなくてはなりません。ご家族のご協力とご理解をいただくために、日本各地を奔走しました。当時のベトナムのイメージは、「ランボー」などの映画にでてくるジャングルそのもので、「うちの娘は、ジャングルで仕立てを教えるのでしょうか?」という質問を真顔でいただいたこともありました。直行便もなく、空港はほったて小屋で、出国手続きに何時間もかかる、発展途上の真っ只中でした。

 そんな中、指導員たちの踏ん張りで「ベトナム縫製」の第一歩を踏み出したのです。通訳は、ベトナム語から英語、英語から日本語と、中に二人も入る、かなりまどろっこしい根気のいるものでした。

 いざ、仕立ての練習を始めると、縫い目は、美しいのに運針練習用の白い布は、みるみるうちに黒くなる。そう、当時の彼女たちには「手洗い」の習慣はなく、指導員は、まず「キレイに手を洗って拭いてから布や針を持つ」という生活習慣から教えなければなりませんでした。

 指導員は、言葉の通じない彼女たちに根気よく、愛情溢れる指導を続けてくれましたが、一緒に仕事を始めた商社は、そんなノンビリとした時の流れを待ってはくれません。ほどなく「とりあえず、練習用として浴衣を1万反、すぐに集めてください。」と我々6社に容赦なく要求してきます。聞いたこともない「ベトナム縫製」に、1万反もの浴衣の仕立てを発注してくれる小売店があるわけはなく、「仕立て料無料」を条件に、なんとかかき集めたのも、今となっては、懐かしい思い出です。

 もともと、手先が器用で、勤勉な国民性を持つ彼女たちですから、仕立ての技術は、みるみるうちに上達し、「手縫いのはずが、ミシン仕立てで納品された。」という冗談みたいなクレームを頂戴するほど、仕立ての技術は見事なまでに向上して行きました。

  ところが、意外なところに伏兵あり!

 「裁ち(たち)」担当のセンスを磨くのは、仕立てを教えるよりも、ずっと大変だったのです。それもそのはず、日本文化や「粋」が、すぐに理解できるわけはなく、彼女たちなりの気遣いとセンスは、顔の近くに柄をたくさんもってきた方が、華やかで美しいと判断してしまいます。「芥子色」といえば、私たちは、金茶っぽい色を思い浮かべますが、彼女たちは、真っ赤な唐辛子をイメージするという驚きの連続。それでも、諦めずに、日本の文化や日本人の感性を教えるために、興味深い話をするなど、コミュニケーション頻度を高めながら、必死で頑張りました。

 今では、単の袖口の「よりぐけ」などといった、繊細な縫い方や、いかに着やすく、着姿が美しいかといった研究、痩せて見える仕立て方、胸元のシワを減らす縫い方と、ハイレベルな進化を続けており、23年間縫い続けているベテランなどは、ベトナム語で後輩を指導し、鍛えてくれています。

 まだ体験していない方は、ぜひ、「ベトナム縫製」をご体験ください。

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